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タイムマシンを探して。

年末年始、久しぶりに地元の宇都宮で過ごした。

おそらく12年ぶりだろう。

この数年、年末年始に展示会を開くことが多く、そうでなくとも長期休暇を使って仕事に集中していたため、作家になってからは地元でのんびり過ごすなんて考えたこともなかった。

それでも今年は地元に帰ろうと思ったのは、暇だったからという理由もあるが、どこかで「地元が私を呼んでいるのではないか」と感じていたからだ。

 

大晦日、私は中学時代の友人と3人で食事をした。

居酒屋を出たのは7時半。「神社に行ってみる?」ということで、近くの二荒山神社へ向かった。

参拝客は少なく、イルミネーションと屋台の並びが新年を待ちわびる雰囲気を作っていた。

実は、私は幼少期から初詣というものをしたことがなく、ましてや夜に神社に来たこともなかった。

長い間離れていた地元で、今こうして懐かしい神社にお参りすることに、思わず感慨深さを感じた。

 

 

「今年は栃木で展示をしたいと思います。栃木のご縁をよろしくお願いします」

とお願いした。

学生時代に東京に出て以来、栃木との縁はほとんどない。

2021年に地元で母と二人展を開いたが、その時の来客はたった1人だった。

コロナ禍も影響したとはいえ、地元で展示してお客さんが来ないなんて信じられなかった。

その時、私は「二度と地元では展示しない」と決心した。

しかし、2024年になり、なぜか栃木に帰りたいという気持ちが芽生えた。

何か忘れていた大切なものが、あの場所にあるように思えた。

それをもう一度取り戻すことが、今の私を変える唯一の方法だと感じたのは、メンタルの不調が続いた2024年の始まりだった。

そして、忘れかけていた記憶の中に、今の私を変える鍵があるのではないかと思い、過去の日記を探し始めた。

 

20歳の頃、大量の思い出を「もう過去は捨ててもいい」と思って捨てたことを、今になって後悔している。

それでも、わずかに残った記録を手繰り寄せ、過去の足跡を辿りたかった。

年末年始の三日間、私は本棚をひたすら探した。朝から何も食べずに、ただ探し続けた。

 

すると、いくつかの日記や写真の中から、涙が出るほど懐かしい記憶が蘇ってきた。

本当は、どうしても見つけたかった1枚の写真があるのだが、それだけはどうしても見つからなかった。

悔しさを抱えたまま、本棚を見渡し、最後にふと引き出しを開けると、奇跡的に写真のネガが出てきた。

その中に、かすかに記憶の片鱗が残っていた。

「神様ありがとう!」と思わず涙が出た。

西日が私の部屋の本棚を照らしていた。20年前と同じように。

 

 

 

 

 

若い頃、私は自分の記憶力に自信があった。どんなエピソードも一度聞けば忘れなかったし、自分の体験なんて忘れるはずもないと思っていた。

しかし、歳を重ねると、時間の流れとともに忘れていくものがある。

もしあの時、もっと日記を残しておけば、と思うことがある。

それでも、今、日記や写真を見返すことで、忘れていた感情が蘇り、あの頃に戻れると気づいた。

それが、自分が未来のために残した「タイムマシン」だと、今の年齢でようやく理解した。

本当に大切な時、心が動いた時には、必ず文章を残していた自分に感謝したい。

今、過去の自分が私を支えてくれている。

 

2024年、私がメンタルの不調を脱却できたのは、あの頃の自分を取り戻したからだ。

あの頃の自分は、自信に満ち、未来に希望を持ち、輝いていた自分だった。

私はその時その時で人生を区切ってきたが、実は全てが繋がっていて、すべての出来事に意味があったのではないかと思うようになった。

もしそうなら、幼い頃の出会いや経験が私の原点であり、忘れてはいけない大切なものがそこにあるのではないか。

そう思い、長い旅を始めた。そして、ようやくその旅を終えたように感じている。

 

これからは、この記憶と記録を元に、私という人間が歩んできた道を文章にして残していきたい。

著名な芸術家たちは幼少期から膨大な日記を残している。私は彼らのように多くは残せなかったが、まったく何も残していなかったわけではない。

今、わずかに残っているものから、もっと自分を探り、取り戻していきたい。それが、今年の目標だ。

 

そして、今日という日もまた、年を重ねた私にとっては愛しい若い日になるだろう。

些細な出来事でも、絶対に忘れないと思った嬉しい出来事も、どんなに忙しくても、未来の自分を支えるために残しておこうと思う。

 

ありがとう、自分。そして、私の人生に関わってくれたすべての人に感謝している。

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