華色切絵 【公式サイト】

「描く」というのは可能性を減らしていく事だ

真っ白なキャンバスを前にすると、いつも少し緊張する。

その純白の中には、無限の可能性が詰まっているからだ。

この一筆を入れることで、どれだけの選択肢を失うことになるのか――そんな考えが頭をよぎる。

描くという行為は、選び取る行為だ。そして、選び取るということは、可能性をひとつずつ削ぎ落としていくことに他ならない。

 

そう気づいたのは、切り絵をしていた時だ。

まっさらな美しい紙を前にして「これを切ってしまうなんて、なんて勿体無いんだろう。今の美しさを破壊してまで私は今以上の価値をこの紙に与えられるだろうか」と思った。

切り絵に限らず、絵を描くことも文章を書くことも同じだ。

ひとたび手を加えた瞬間、無限だった可能性の一部が永遠に失われる。

その行為はいつも、美しさと恐れの両方を伴う。

 

私の好きな田中泰延さんの著書『読みたいことを書けばいい』にこんな一節がある。

“「それは8月だった。尾張の夜のことだった。」

真っ白な原稿用紙は大宇宙の全てを含んでいて、茫然とした大海原だったのに、こう書き出すだけであなたの世界は削られてしまった。”

文筆家も同じ思いを感じているのだと気づいた。

 

この言葉を読むたびに、描き始めることの重さと美しさを思い出す。

何も書かなければ無限の宇宙が広がっているのに、たった一つの言葉を置くことで、無数の可能性が閉じられる。その代わりに、新たな世界が開かれるのだ。

 

 

真っ白なキャンバスは最も美しい。なぜなら可能性に満ちているからだ。

何もない、状態、それは『完璧』なのだ。手を加えるごとにその完璧が汚されていく。

しかし、それを重ねるうちに、新たな美しさを生み出す。それが芸術だ。

 

白いキャンバスや紙をそのままにしておくことも、ひとつの選択肢だ。

しかし、私はその選択をしない。それはあまりに静かで、閉じられた完璧だからだ。

人の手で汚され、傷つきながら、ようやく見える「人間らしさ」の方が、ずっと愛おしい。

 

人生や人間もまた同じだろう。

そのままでも美しいのに、あらゆる事を付け足し、時にすり減らし、傷つくことで味わいや深さを身につけていく。

削られた可能性を惜しむより、そこに生まれた新しい美しさを愛していきたい。

それが、私が描き続ける理由だ。

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