心に残る恩師の言葉②「勉強のできる人はいくらでもいる。絵が描ける人は多くはないよ。」
中学3年生のとき、校長先生が私にかけてくれたこの言葉は、進路に迷っていた私の背中を押してくれた一言だった。
当時、私には二つの夢があった。
一つは進学校に進み、大学で学び、教師になること。もう一つは、美術の学校に行き、絵の仕事に就くこと。
小学生の頃から絵が得意だった私は、一時期、漫画家になりたいと思っていた。でも、中学生になると、「絵を仕事にできるのはほんの一握りの人だけ」という現実を感じるようになり、教師という新しい夢を見つけた。
勉強が好きだったし、成績も良かった私は、本気で頑張れば県内一の女子校に合格できると期待されていた。
一方で、美術部に所属し、絵の活動にも力を入れていた。
市内のポスターコンクールは何度も入賞し、市の芸術祭では二年連続で特賞という市内一番の成績を収めた。
学校行事では旗やパンフレットを手掛け、周囲からは「絵が得意な生徒」として認められていた。
だからこそ、「美術系の専門高校に進みたい」と言い出したとき、まさか反対されるなんて思ってもみなかった。
けれど、ほとんどの先生が「もったいない」と言った。
「進学校に行って美術部で活動するか、予備校に通う方がいいんじゃない?」
「美術系には通常授業がほとんどないから学力がもったいない。」
そんな意見ばかりだった。
さらにショックだったのは、美術部の顧問の先生にさえ「進学校に行ったほうがいい」と言われたことだ。
顧問なら私の夢を応援してくれると思っていたのに、まるで「美術で成功するほどの才能はない」と言われたように感じた。
そんな中で唯一、私を理解し、味方になってくれたのが校長先生だった。
進路を決める時期、生徒一人ひとりが校長室で面談をする機会があった。
そのとき、私は迷いを打ち明けた。
「美術系に進学したい。でも先生たちから反対されてるんです。」
毎月のように全校集会で絵画コンクールの表彰状を渡してくれていた校長先生は、私の絵の実績を誰よりも知ってくれていた。
そして、こう言ったのだ。
「反対されても、一番進みたい道を選ぶのがいい。勉強のできる人はいくらでもいる。でも絵が描ける人は多くはないよ。」
胸がじんわりと熱くなった。「見てくれている人がいる。背中を押してくれる人がいる。」
その事実が何より嬉しかった。
その時、初めて校長先生が美術の先生だったと知った。
そして私は、美術系高校を受験することを決めた。単願で。
卒業間近になった頃、校長先生の作品を初めて目にする機会があった。
廊下にずらりと並べられた30号から50号くらいの油絵たち。それはシュールで不思議な魅力を放つ作品だった。
知識のなかった当時の私には「なんだかダリの絵みたい!」としか言えなかったけれど、その迫力に圧倒された。
穏やかな校長先生の知らない一面を見た気がして、「かっこいい。」と思ったことを覚えている。
おかげで私は、今こうして絵を仕事にすることができている。
もし、あの日、進学校を選んでいたらどうなっていただろう。
教師になるという夢を叶えた未来もほんの少し気になるけれど、今いる場所は間違いなく私が選んだ未来だ。
ふと、あの日の校長先生ともう一度絵の話をしてみたいと思うことがある。
今いるこの未来は、もしかしたら校長先生が選ばなかった未来のほうなのかもしれない――
そう考えると、不思議な気持ちになるのだ。
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