心に残る恩師の言葉④「私カリグラフィーの勉強始めたの」
「私、カリグラフィーの勉強始めたの。見てくれる?」
図画教室の先生が、そう言いながらノートを広げて見せてくれたとき、小学生の私は少し驚いた。
彼女は自称「5億歳の宇宙人」。
油絵の画家であり、私が小学校1年生のときから通っていた図画教室の先生だった。
とても個性的で、ユーモアに溢れていて、子どもたちを飽きさせない天才だった。
絵の具のチューブを使い切ると、「手術」と称してハサミで切り開き、「ぶちゅ〜」とか言いながら中の絵の具を取り出すその姿に、教室中が笑いに包まれる。そんなふうに、彼女の周りにはいつも明るい空気が漂っていた。
彼女の教室では、ただ絵を描くだけではなかった。お皿に絵を描いたり、工作をしたり、さまざまなアイディアで子どもたちを楽しませてくれた。私が初めて切り絵を作ったのも、きっとこの教室での課題だったはずだ。
彼女のアトリエに入るたびに、私は圧倒されていた。
壁一面に隙間なく飾られた油絵のキャンバス。それは、まるで壁紙のようで、大小様々な作品が壁が見えないくらいびっちりと並んでいた。先生の絵は、具象と抽象の間を行き来するような独特の世界観で、何が描かれているのかはっきりとはわからなかった。でも、その不思議な色の混ざりや、盛り上がった絵の具の質感を見ているだけで、胸に迫るものがあった。「この部分の絵の具の混ざりが綺麗だね」と言う小学生の私は生意気だったかもしれないけれど、いつ見てもどこの部分を見ても先生の絵は飽きなかった。
先生はとても勉強熱心で、いつも何か新しいことを学んでいた。
「私、カリグラフィーの勉強始めたの」と言って、練習帳を見せてくれたときは驚いた。
新しいことを始めた彼女の目は輝いていて、どんなふうに習っているのか、何が難しいのか、まるで友達に話すように私に教えてくれた。
「先生なのに、まだこんなふうに学ぶことがあるんだ」と、幼い私は不思議に思った。
そしてその姿が、とてもかっこいいとも思った。
あるときは「はがきサイズの絵を毎日描くようにしたの」と言い、その絵を丁寧にファイルにまとめて見せてくれた。それから週に一度の教室で、そのファイルを見るのが私の楽しみになった。
小さなはがきの中に込められた情熱に、私は子どもなりに感動していた。
「これが好き」「この色が綺麗」と素直に感想を述べる私に、彼女は「そう思う?ありがとう」と嬉しそうに答えてくれた。先生であるはずの彼女とのそのやりとりが、少し不思議で、でも嬉しかった。
中学生になってからも、私はたまに学校で描いた絵を持って教室を訪れていた。
ある日、当時ハマっていた画家の教本を見せて「こんな絵が描きたいんだ」と話すと、先生は少し渋い顔をしてこう言った。
「私はこの作家、そんなにうまいと思わない。ともちゃんの絵の方が好き。」
中学生の自分とプロの画家を比べて、私の方が良いと言われても、正直信じられなかった。
でも、もし彼女が本気でそう思っていたのなら、それはきっと私の中に何かを見出してくれていたのだろうか、と今にして感じる。
最後に先生と会ったのは、高校を卒業してから高校の同級生と地元で開いたグループ展のときだった。
ギャラリーのソファに座りながら、優しく話しかけてくれた先生の姿は、あの頃より少し小さく見えた。
出来るなら、あの壁一面の油絵をもう一度見たい。
そして、もう一度先生と話がしたい。
子どもの頃の私は「先生」として彼女を見ていたけれど、今思えば、彼女は紛れもなく「画家」だった。
そして、彼女が教えてくれた情熱と新しいことに挑む姿勢は、今の私の中にも確かに息づいている。
学び続ける姿勢も、人を惹きつける魅力も、彼女が私の憧れで原点なのかもしれない。
もしあの頃のように再会できたなら、画家として、その作品を見ながら私はこう言いたい。
「先生のこの油絵の、この部分の表現が良いね。こんな絵が描きたいなぁ」と。
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