華色切絵 【公式サイト】

心に残る恩師の言葉③「平石さんてプロでしょ?本当は何やってる人?」

「あぁ、もうだめだ。このままプロの作家として食べていくことはできないのかもしれない。就職しよう。」
そう思ったのは27歳のときだった。

 

私が切り絵作家としてデビューしたのは20歳のとき。デビューと言うと聞こえはいいが、ただ個展を開き、たまにオーダーで仕事をもらう程度の活動だった。もちろん、それでは食べていけない。年収は数万円程度で、生活の基本はアルバイトだった。初めは、お金を貯めて美大に行こうと思っていたが、夢はあまりに遠く、諦めた。結婚を機に、イラストレーターのスクールに通いながら、いつか売れっ子になる日を夢見るものの、現実は絵の練習をするだけの日々。

 

そんなとき、パートナーの仕事が変わり、家計が苦しくなった。「もっと働いてほしいなぁ」と言われるようになり、私も次第に焦りを感じるようになった。アルバイトを続けながら夢を追う生活も、もう限界だと思った。そして27歳、バイト先で偶然、昔の彼氏に出会った。何気なく交わした彼の一言――
「まだ働いてたんだ。」
その言葉が胸に突き刺さり、何かが吹っ切れた。「このままじゃダメだ。就職しよう。」そう決心したのだ。

 

けれど、何のスキルもない私を雇ってくれるところなんてあるだろうか?そんな中、唯一の希望は、個人的に依頼を受けていたチラシ制作などのグラフィックデザインの仕事だった。私はその日のうちに、社会人向けのグラフィックデザイナー養成学校に申し込んだ。3ヶ月間集中して学び、その後就職活動をするという内容だった。

 

授業は濃密だった。イラストレーターやPhotoshopなどの基本的なDTPスキルをはじめ、色彩や写真の基礎、デザインセンスを養う授業が次々と進む。デザインの基礎の授業では、I先生という美術大学出身のアーティストが講師を務めていた。ある日の課題制作中、ふいに先生が私の後ろの席に座り、こう声をかけてきた。

 

「平石さんって本当は何してる人なんですか?プロでしょ?プロならプロだって言ってよ。」

 

その言葉に一瞬、頭が真っ白になった。プロ?私が?先生はどうやら、私がプロのカメラマンではないかと疑ったらしい。実際、この学校には未経験者だけでなく、美大出身者や現役デザイナー、カメラマンなど、さまざまな背景を持つ生徒が集まっていた。そんな中、私の写真が「プロの仕事のように見えた」のだという。

 

 

「プロの人にはそう教えて欲しいんですよ。写真なんて俺の方が素人なのに偉そうに教えるの恥ずかしいじゃないですか」先生はそう言った。

「私はプロのカメラマンじゃないですよ。でも、イラストを描いてます。」
そう答えると、先生はホッとしたように笑った。そして、切り絵作家だと話すと「やっぱりね」という顔をした。その瞬間、胸の中に小さな光が灯ったような気がした。その言葉は、諦めようとしていた作家の道を、もう一度照らしてくれるような言葉に思えた。

 

「私、プロにプロだと思われるくらいのセンスはあるんだ!」と。

 

卒業が近づくと、クラスメイトたちは就職活動を始めた。DTPの担任の先生からも「平石さんならどこに行ってもやっていけるよ」と励まされ、私は就職する気持ちを固めかけていた。けれど、I先生の一言がどうしても心の中に残り続けていた。「平石さんてプロでしょ?」という言葉が、「まだ可能性はある」という希望に変わっていたのだ。私は葛藤した。そして、

「もう1年だけ頑張ってみよう。」
そう思い直し、就職を先送りにした。

 

I先生は、私が初めて出会った「身近なプロのアーティスト」だった。美術大学を卒業し、自分の名前で作品を発表し続けるその姿は、私には眩しく映った。当時の私は、美大も出ておらず、プロの知り合いもいない。アーティストなんて雲の上の存在だった。けれど、彼の存在がその認識を変えてくれた。「プロの世界はそんなに遠い場所ではない」と教えてくれたのだ。そして、そんなアーティストである彼に少しでも認めてもらえたことが、私の背中を押してくれた。

 

卒業して1年後、I先生の個展で久しぶりに再会したとき、彼はこう言った。

「平石さんのこと、僕のお世話になってるギャラリーのオーナーに紹介したいので、ポートフォリオを持ってきてください!明日!」

 

2016年の夏、私は作家として再スタートを切った。

 

関連情報

コメントは受け付けていません。

特集