私と詩
私は15歳から24歳くらいまで、詩人として活動していた。
発信媒体はメールマガジン。15歳当時はまだブログがそれほど一般的ではなく、何かを発信するならメールマガジン、という時代だった。
詩を書くのは小学生の頃から好きだった。演劇部では脚本も書いていたけれど、ストーリーを書くのには時間がかかる。それに比べて、詩は短い時間で一気に書き上げることができる。その手軽さが私には合っていたのだと思う。
詩を書くようになったきっかけは、TUBEの歌詞に魅了されたこと、そして初恋。特に恋愛詩を書くようになったのは自然な流れだった。少女漫画のような恋愛詩は、当時の若い世代にとって共感しやすく、自分の感情を表現するのにぴったりだった。
マガジンのタイトルは「恋のメロディ」。大好きだったTUBEの当時の新曲「青いメロディー」から名付けた。
ペンネームは「みなみ」。小学生の頃から漫画を描くときなどに使っていた名前だ。
初投稿は、2003年8月26日、15歳の夏休みだった。それから丸10年、多い年には2日に1作品のペースで詩を配信した。最初は、恋愛経験も書くスキルも未熟で、大好きな歌詞や恋愛を想像しながら拙い言葉を綴っていた。でも、高校生になり初めて恋愛を経験すると、詩にも深みが生まれてきた。それが17歳頃のことだった。
「年齢の割に大人っぽい詩で共感できる」と年上の女性ファンがついたのが嬉しかった。同世代の読者から恋愛相談を受けることもあった。メルマガ上で同じ詩人仲間もたくさんできて、お互いのマガジンに投稿したりした。
顔は見たことないけれどそれぞれがそれぞれの感性を言葉にする。言葉の紡ぎ方にその人が見えた。言葉で繋がった美しい世界だった。私が初めて自己表現で自分を確立した場所、それが「詩」の世界だった。
詩を書くことは私にとって日記のようなもので、思いを吐き出すアウトプットが心を安定させてくれていたと言うのも感じている。何よりも、詩を通じて文章力が磨かれ、人前で自分の作品を発表する経験が積めたのは大きかった。
不特定多数に発信するので、日記のように赤裸々には書けなかったけれど、心の動きや感じたことをベースにした詩は、今でも読み返せば「あのときこの人を思って書いたな」とわかる。
必ずしも恋愛感情ではなくても、「こういうシチュエーションならこう感じるだろう」という想像力が詩に反映されていた。だから私にとって、出会う人すべてがインスピレーションだったのだ。
ただ、それも若さゆえの感性だったのかもしれない。
20歳を超えると詩を書く頻度は減った。心が安定し、安心できる恋愛をしたことで、詩を書かなくても平穏を保てるようになった。そして「もう書かなくてもいいや」と詩人を卒業し、切り絵作家としての活動をスタートさせた。
絵描きになってから、詩人だった自分をどこか否定していたように思う。
「ポエム」という響きが恥ずかしく感じられたのだ。趣味で発信していただけの活動に過ぎないのだから、と。
しかし今振り返ると、あの頃の経験は今の私を形成する上で、とても重要だったと感じる。詩を書くことで、心が動いた瞬間を言葉にして発表する。それは、絵を発表する以上に自分の内面をさらけ出す行為だった。
詩を書く経験が、私に「何かを表現する」という感覚を教えてくれた。だからこそ、今こうして文章を書くと心が落ち着くのだ。あの頃と変わらない感覚で。
最近はエッセイという形で、再び文章と向き合い始めた。
詩とは違うけれど、自分の心の内を言葉にするという意味では同じだ。
絵を描くことで感情を表現する一方で、文章を書くことで心を整えている。それは15歳の頃に詩を書くことを通じて気づいたことと、何ら変わらない。
詩を書いていたあの頃。私は私のために書いていた。
そして、それは今も変わらないのだ。
私は私のために書く。誰が見ていようが、見ていまいが。
そしていつかまた、眠ったままのもう一人の私がまた詩を紡ぎ出す日が来るかもしれない。
それはずっと眠っていたガラケーの電源を入れるように、
あの頃の感性がまた心に灯るのを、少しだけ待っていたりもする。
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