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あの頃のトラウマを手放して

「幼少期のトラウマを克服することがメンタル疾患の回復には重要だ」と、よく言われる。

もちろん私もそのことは知っていた。でも、どこかで「自分にはそんなものはない」と思っていた。

 

幼少期のトラウマと聞くと、親に愛されなかったとか、家庭が崩壊していたとか、友達にいじめられたとか、そんな典型的なイメージが浮かぶけれど、私にはどれも当てはまらなかった。

家族に愛され、学校も楽しく、私には「幸せな子供時代」しかなかったと思っていたのだ。だから、自分の心の奥底に潜む問題が過去に起因しているなんて、想像もしていなかった。

 

でも、最近ふと気づいたのだ。私がずっと抱えていたモヤモヤが、もしかすると若き日の「トラウマ」のようなものだったのかもしれない。そして、それをようやく手放せたのではないかと。

 

 

私にとっての「トラウマ」は、幼少期ではなく、10代後半に眠っていたように思う。それは「画力」と「期待を裏切ったこと」にまつわるものだ。

 

私は夢と希望にあふれて美術系の高校に進学した。入学当初はクラスで一番絵が上手く、先生からも期待されていた。しかし、いつの間にか自信を失い、自分を嫌いになっていった。最終的に私は「描かない」ことを選んだ。「受験しない」ことを選んだ。本当はみんなより「絵が上手くない自分」がバレるのが怖かった。

 

そして、その気持ちはプロになってもっと重くのしかかってきた。

「私は本当は絵が上手くない。今、プロでやっていけるのは運がいいからだ。いつかそのことがバレて、誰からも相手にされなくなるかもしれない。」

 

そんな恐怖と自信のなさを抱えながら、私はなんとか走り続けてきた。けれど、2021年ごろ、仕事が一段落した時、自分を責める気持ちが強くなった。

 

この気持ちをどうすれば良いのか。「絵が上手くなりたい。」そう思ったのが最初だった。

大学に行かなかったことがコンプレックスなら、大学に行けばいいと思った。でも、私が本当に欲しかったのは大学の肩書きではなく、大学受験に合格するレベルの画力だったのだ。つまり、高校時代に基礎をすっぽかし、逃げたことへの後悔。それが私の胸にずっと刺さり続けていたのだと思う。

 

そこでデッサンを始めた。すぐには上達しなかったけれど、2年間続けた。

そして気づけば、ようやく「絵が上手くなりたい」という執着が消えた。あの頃の受験生に追いつけたと感じたとき、私は初めて「絵が上手くなりたい病」から解放された。

 

でも、それだけでは足りなかった。絵の技術が向上しても、あの日逃げた自分への罪悪感は消えなかった。そこで思いついたのは、「あの時切ってしまった縁を取り戻すこと」だった。

 

 

高校時代の恩師に再会できたことが、私の心を救うきっかけになった。

さらに、10代の頃の日記を読み返してみた。そこには「愛されていた自分」の事実が残っていた。長年、私は「自分は嫌われていたのではないか」と思い込んでいたけれど、それは全くの誤解だった。周りの人たちはいつも優しかったし、私を気にかけてくれていた。なのに、どうしてそんなふうに思っていたのだろう。

 

その発見は、私の心を大きく軽くした。そして、あの頃の自分をようやく許せた。心が病み始めた2021年より前に戻れたどころか、中学生時代の生き生きとした自分にまで戻れた気がする。いや、それ以上だ。今、世界は澄み切っていて、私の背負っていた重りはどこにもない。

 

 

「自分が解消したものは、もしかして若き日のトラウマだったのではないか。」

そう思うようになった。画力も逃げた事実も、他人から見れば「そんなの気にすること?」と思われるようなことかもしれない。でも、それが私にはどうしても置き去りにできない過去だったのだ。

 

ずっとどこかで自分に自信がなく、自分をごまかしながら、嘘をつきながら生きてきた。それを手放せた今、私は初めて自分の歩んできた道をまっすぐに愛せるようになった。そして、その道筋を「私らしい」と胸を張って言える。これほど幸せなことはない。

 

「あの頃の自分を愛せること」「生きてきた軌跡を愛せること」

――それが人生における本当の幸せだと、私は気づけた。

 

20年間、共にしてきたトラウマをようやく手放して、いま、それらにすら感謝できるのだ。

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