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心に残る恩師の言葉⑥「自信」という贈り物

中学2年生のある日、塾で勉強していた私は、試験前のモチベーションを上げたくて、先生にノートの隅に「応援メッセージを書いてください!」とお願いした。期待して差し出したそのノートに、先生が書いてくれたのは、たった二文字の「自信」という言葉だった。

 

その時、正直「え?」と思った。もっと「頑張れ!」とか、「君ならできる」といった奮い立たせる励ましの言葉が欲しかったのに。「自信」なんて、あまりにシンプルすぎて拍子抜けして、思わず「自信ってどういう意味ですか?」と聞く。すると先生は「自分を信じるってことだよ」とさらっと言った。それは知ってる。そうじゃなくて!と思ったが、腑に落ちないながらも、私は何となく納得したふりをして、ありがたくその言葉を持ち帰った。

 

当時、私はよく学校の先生たちにも応援メッセージを書いてもらっていた。どの先生も、「頑張れ」「応援してるよ」といった温かい言葉をくれた。その中で、この「自信」だけは何だか浮いていた。にもかかわらず、なぜだろう、その二文字がずっと心に引っかかっていた。

 

 

あの頃の私に足りなかったものは何か。

今思えば、先生は私の本質を見抜いていたのかもしれない。私は当時、表向きには元気で堂々としていたけれど、実際には常に不安だった。どれだけ勉強しても、どれだけ結果を出しても、自分に満足できなかった。完璧だと思えないから、もっと頑張らなきゃと自分を追い込んでいた。

 

「自信」という言葉が、私にはただの抽象的な概念にしか思えなかったのは、そもそも自分を信じることができていなかったからだ。それを、先生は見抜いていて「もっと頑張れ」ではなく「自信」という言葉を贈ってくれたかもしれない。と今になって思う。

 

あの頃の私にはわからなかったけれど、今では「自信」という言葉がどれほど大きな意味を持つかを実感している。それは、努力を続けるための原動力であり、自分を認めて前に進むために必要不可欠なものなのだ。

 

私の古い日記の端っこに、こんなメモが残っていたのを最近見つけた。

 

「とにかく繰り返して読む!

 

人は良く見えるんだよ。

周りは良く見えるの。

 

自分に自信持っていいと思うよ。

 

よくできるし。

客観的に見ても。

 

誰でも不安なんだよ。」

 

きっと誰かに言われて印象的だから書き残した言葉なのだろう。誰の言葉かは書いてないが、ちょうど、あの頃使っていた日記帳だし、「自信」というキーワードが含まれている。「繰り返し読む」って、英語の教科の話だとしたら、確信はないけれどあの先生の言葉だったのではないかと、思い返してじんわり心に染みるものがあった。

 

先生はもしかして「もう充分頑張っているよ」と私に言ってくれていたのか。私に必要だったのは、さらに努力することではなく、すでに持っている力を信じることだけだ、と。

 

あの日のノートはもう手元にないけれど、「自信」という言葉は20年以上経った今も私の中に残っている。そして今年になって、やっと私は自分に自信を持てるようになった。少なくとも自分が歩んできた道を肯定できるようになった。自分の中で完全に理解できずに漂っていた二文字にやっと答えが出せた。

 

「自分を信じる」

それは私にとって、とてもとても難しい宿題だった。

 

先日、先生にこの話を伝えたけれど、あまりピンと来てないようで、私の拙い言葉では、伝わらなかったのだろう。それでも、あの二文字に心から感謝しているのだ。

 

あの日くれた「自信」が今、

そのままわたしの「自信」になって、

まるでお守りのように

今も大切に抱えている。

 

「今の私はもう十分頑張っているよ。

あとは自信を持って、

胸を張って進んでいくだけだよ」

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