1月の朝の神社で。
おみくじが 人の背丈に括られた
梅の枝先 蕾ふくらむ――。
私の家の近所には、二つの神社がある。
一つは徒歩2分の小さな神社、もう一つは徒歩10分ほどの中くらいの神社だ。
近い方の神社には頻繁に足を運ぶけれど、少し遠い方は月に一度、木曜日の教室がある朝に通る際だけお参りしている。その神社には梅や水仙、藤、牡丹、サルスベリといった四季折々の花が咲き、月に一度訪れるたびに、季節の移ろいを感じさせてくれる。
今朝、家を出るのが10分ほど遅れてしまい、少し急いでいたからお参りはやめようと思った。
しかし、「今年まだこの神社には初詣していない」と気づき、足を向けることにした。最近の私は、時間に厳しくしすぎないことにしている。たかが数分、今心が望むことを優先する方が大切だと思うからだ。
賽銭を投げ入れ、二礼二拍手。
朝の清々しい空気の中で、静かに神様と対話するように祈っていると、ふと眩しい日差しが差し込み、温かく包み込まれるような感覚を覚えた。それは、まるで「来てくれてありがとう」と歓迎してもらっているかのようだった。心に灯がともるような一瞬だった。
お参りを終えて振り返ると、大木の梅の枝が目に入った。
よく見ると、枝の人の背丈ほどの高さに、たくさんのおみくじが括りつけられている。あれ? この神社におみくじがあったかな? お正月の特別な風景なのだろうか。
さらに目を凝らしてみると、その枝先には小さな梅の蕾が膨らみ始めているのが見えた。
少し重そうだけど、白いリボンを結ばれた梅の枝は、どこか風情があり、微笑ましく感じた。
駅に向かう道すがら、この情景を歌にしたいという気持ちが湧き上がった。
こんな何気ない日常が、私の感性を満たしてくれること。
それに気づけたことが、とても嬉しい。
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