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「絵が描ける人には、絵を描けない人の気持ちがわからないんだよ。」

「絵が描ける人に絵を描けない人の気持ちがわからないんだよ」

そう言われたとき、「は?」と思った。

「才能がある人には、才能のない人の気持ちはわからない。」

そうやって自分よりも何かが上手い人に嫌味を言う人がいるが、とんでもなく話にならないと思う。

 

そもそも才能って何だ?

 

例えば背の高い人に「背が低い人の気持ちはわからないんだよ」とか、美しい人に「ブスの気持ちなんてわからないんだよ」と言われたら、まだ少しは納得できる。(それも馬鹿馬鹿しいが)だってそれは、持って生まれた特徴だから。だけど、「絵が描ける人」とは、果たして生まれつきのことだろうか?

 

誰だって、最初は絵なんて描けなかった。

幼い頃に、クレヨンを握ることを覚え、線を引くことを覚え、丸を描き、そこから少しずつ形を作れるようになっていく。子どもが描く絵なんて、初めはみんな同じようなものだ。その先に違いが生まれるのは、どれだけ描き続けたか、どれだけ時間を費やしたかの違いにすぎない。

 

だから私はこう答えた。

「わかるよ。だって私も同じ気持ちを経験してるから。」

「だけどね、その気持ちを私はもう、とっくの昔に通り過ぎた。

小学生の頃からね。絵が描けないことが悔しくて、ずっと絵を描いてきたの。」

 

私が絵を描くのが得意のは、幼稚園の頃からたくさんの時間を絵を描くことに費やしてきたからだ。

あなたはそれをやってないでしょう?

私とあなたの違いは、ただそれだけだ。

 

たとえば、日本で生まれた私たちは、日本語を当たり前のように話せる。

それは毎日触れてきたからだ。

もし私たちがアメリカに生まれていたら、英語を話せるようになっていただろう。

当たり前のことだ。

ではアメリカ人が英語を話すことを「才能」とあなたは思うのか?

 

もちろん、作家やライターのように言葉のセンスや才能がある人もいるけれど、それだって幼い頃から言葉を磨いてきたからこそ、花開いたものだ。

 

つまり、絵が描けるということも、ただ単純に、どれだけそれに時間を費やしてきたかだけの話だ。

 

 

もし今、私が今から一切絵を描くのをやめて、あなたがこれから30年間、私と同じだけの努力を続けたら、きっと私と同じ技術には到達できるんじゃないだろうか。

まぁそのときに差が生まれるとしたら、それがやっと「才能」や「センス」というものなのかもしれない。

 

「絵が描ける人には、描けない人の気持ちがわからないんだよ。」

その言葉には、私はどうしても納得できない。

馬鹿馬鹿しくて仕方ない。

描けない人の気持ち?

そんなのは知っているよ。

 

私たちは、もうとっくに、そこをのりこえてきたのだから。

その気持ちが悔しくてここまできたのだから。

 

ただ、努力もしていないくせに人を羨む人の気持ちなんて

私にはわからないけどね。

 

 

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