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心に残る恩師の言葉⑧「平石の最大の強みは“早さ”だよ」

 

それは高校3年生の夏休みの事だった。

高校では夏休みに中学3年生を対象にした1日体験というのを開く。私の所属する美術デザインコースでは毎年デッサン体験会というのを開いていた。私も中学3年生の時この1日体験に参加して、とても楽しかったことがきっかけで入学を決めたものだ。

 

中学3年生へのデッサンの体験会への指導を担当するのは高校3年生の私たちの仕事だった。

指導の中心はもちろん先生だけれど、クラスの中からアシスタントとして指導する人を数人、そしてデモンストレーションとしてデッサンをする人を1人選ぶ。私は指導する方へ希望していた。すると、先生が「平石にはデモンストレーションお願いしたい」と言ってきた。

 

当時の私は正直「なんで私に?」と思った。

その頃、既にデッサンは大嫌いだったし、まったく真面目に描いていなかったのだ。高校3年の春までは、学校も休みがちで、進学はおろか卒業まで怪しいと言うような私だった。

放課後、他の人がいなくなった教室で私は先生に聞いた。

 

「私よりデッサンが上手い人はいくらでもいるのに、なんで私なの?」

 

すると先生はこう答えた。

 

「中学生を対象にしたデッサンのデモンストレーションなら平石が1番適してるから」

 

ようするにこういうことだ。

私たちはいつも1枚のデッサンを最低でも6時間程度かけて描いている。それに対して中学生が描くデッサンは2時間弱。この高校の受験デッサンも2時間程度だった。普段のペースで描き進めたのでは仕上がりまでは持っていけない。中学生に見せたいのは、2時間と言う限られた時間の中で、きちんと完成して見える作品だった。そして、私は筆が早い。確かに2時間で仕上がりに持っていけるのは私だけかもしれなかった。

 

「長時間のデッサンだったら、平石より上手い奴はいっぱいいる。でも、2時間のデッサンだったら、平石が1番上手い。」

 

「平石の最大の強みは“早さ”だよ」

 

そう言ってもらった時、思いもよらない見方で、自分を肯定してもらったような嬉しさを感じた。中学時代は楽しんで描いていたデッサン。しかし、高校に入ってから、私はデッサンが苦手になった。それは1枚の作品に、何時間も向かい続けることができなかったからだ。2時間くらいまではいい、でもその後何を描いていいかわからなくなってしまう。丁寧に形を直したり、細かく描写する。それができず、6時間のデッサンは時間を持て余してしまっていた。「平石は雑。もっと丁寧に描け」そう言われる事が増えた。それができない自分を責めていた。

 

しかし、弱みだと思った私の癖が、先生の言葉で強みでもあるのだと気づいた。

それは何より自分を励ましてくれた。

「2時間で完成させること。」

よし、久しぶりにあの頃に戻り私らしくがんばろう。そう思った。

 

体験会当日、教室に、ぞろぞろと中学生が集まってくる。あの頃の自分を思い出すようで、初々しい気持ちになった。

私は中学生に混じって、イーゼルを立てる。

モチーフはまん丸な大きいスイカをまるごと1個だった。シンプルな石膏の円柱や野菜を想像していたから「なんでまた、こんなモチーフを…」と若干たじろいだが、やるしかない。スイカの球体を描き、淡々としま模様を描写していった。

そして先生や、クラスメイトの指導の声を心地よく聞きながら、私は鉛筆を走らせていた。中学生に戻った気持ちで。

 

 

体験会が終わり、少しの講評の時間がもたれた。私の作品も、みんなの前に並べられる。たった2時間のデッサン。たいした仕事では無いのだけれど、なんだかやり切った気持ちだった。そして、あの頃の私の年齢のみんなにとって、少しでも憧れの先輩を演じられていれば嬉しいなと思った。

 

中学生たちが帰った後、先生は一旦職員室に戻ると言って「そのスイカ食べていいよ!」と去っていった。

数時間働いた私たちは、「やったー!」と言って、スイカを割ろうとした。「包丁がないから叩いて割るしかない!」と言って、イーゼルの横の棒とかを使って叩くがなかなか割れない。少しひび割れたところから手で引き裂いてほじくって女子高生4人でスイカを食べた。みんなで笑い合って、楽しかった。かなり大きなスイカだったから食べ切れず、ビニールで抱えて、庭を歩いて職員室に持っていった。

 

高校3年の夏休み。午後の眩しい日差しが、私たちと割られたスイカに照り付けていた。それは美術から逃げ出した私の数少ない高校生活の思い出になってくれた。

 

私は今も「仕事が早いこと」を1番の誇りにして絵の仕事をしている。それはあの日の先生の言葉が教えてくれた「私の最大の強み」だから。

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