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白い雨(2022)絵とエッセイ

雨の似合う花は他にもあるかもしれないが、

 

雨によってより輝きを増す花は「紫陽花」だけかもしれない。

 

6月、曇天の空の下。全てがグレーがかったように霞み彩度を失う世界に、紫陽花のブルーや紫はひっそりと、なぜかより浮き出して見えるようで、雨の日の世界の主役は紫陽花なのだ。

 

 

雨というのは、透明で実体が見えない。

 

暗い夜に、車や街灯に照らされるとき、部分的に姿を表すことがある。光の中を走る斜線たちによって、雨はそこにいるのだとわかる。

 

明るい昼間には、やはり見えなくて、水辺や水溜りに波紋が生まれるのをみて、私たちは雨の存在や、強さを感じることができている。

 

実際世界の雨というものは、人の視覚だけでない五感で感じる部分が大きいのかもしれない。

 

染み入る音。肌に纏わりつく湿度。浮き立つ土や草の匂い。それらを人間は感じて、「雨」を全身で体験しているのだと思う。

 

 

だから、雨を絵にするのは難しい。

 

漫画や浮世絵のように、細い斜線で表してもいいが、シトシトと降る6月の雨はもっと繊細だ。

 

 

 

紫陽花の絵を描いた。

 

幻想的な色彩と佇まいを、紙の重なり合いの透明感で表すことはできた。だが、その絵からは、雨の音・湿度・匂いが感じられなかった。

 

氷のように硬くて、命が静止しているようだった。

 

切り絵のシャープさはときに、生命力を失わせる。シャッタースピードの速いカメラで撮ったような紫陽花ではなく、もっと肉眼で見たような世界が描きたいのに。

 

 

「絵に雨を降らせてみよう」

 

最後の最後に、失敗を覚悟して霧吹きで白い雨を降らせることにした。水で溶いた薄い胡粉を振りかけていく、何度も何度も満遍なく。

 

雨を浴びて、紫陽花が生き生き輝いてきた。絵の中で葉をピンと伸ばす仕草が感じられるように。

 

やはり紫陽花は「雨の花」なのだな。と思わされた。

 

 

 

 

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白い雨/2022

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