時、零れて。(2022)絵とエッセイ
東京都美術館で開催される、年に一度の日本きりえ美術展に搬入するため、上野公園を歩いていく。11月半ばに差し掛かる頃、ちょうどイチョウ並木は金色に色づき始める。葉っぱの金色の扇となり、細い枝の先で逆さになり、風に揺られている。小枝は限界まで扇を広げた葉っぱたちの重みで、しなるように下へ垂れている。
秋は誰もが切なさを感じる季節なのかもしれない。
春・夏の盛りを過ぎ、冬へと向かうのは、人生の中、何度と繰り返すことだとしても、どうしたって、散りゆく草花を見るのはさみしい。
今年もあと2ヶ月弱かと思うたび、「私は幸せに過ごせただろうか」と、自分の人生ごと振り返る。
大体は後悔ばかりだ。
こうやって歳をとっていくのだろう。と憂いて空を見上げる。なのにイチョウの木は、その憂いをかき消すように眩しく葉を輝かせている。
西陽が差して、さらに黄色さを増していく。強い光は光と影を落として、白く、黄色く、そして黒く、コントラストを強めていく。
零れるように降り注ぐ。
枯れていくことを憂いている暇もないほど、イチョウは大きく美しく、世界に降り注いでいる。
それはまるで、大きな教会のステンドグラスの光の下、天からの光に包まれて、無理矢理に命と向き合わされているような心地のいい畏怖感だ。
大きなイチョウの木と、同じ陽に照らされ、そして「今年も生きていられてよかった」と、それだけを思うのだった。
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