華色切絵 【公式サイト】

私と読書。

読書の秋である。私の読書習慣には波があって、ひたすら本を読む時期もあれば、数ヶ月全く手に取らない時期もある。しかし最近は、きちんと定期的に読書をしているおかげか、心が落ち着いている。やはり読書は心に優しいのだと改めて感じている。

 

今でこそ「本好き」を自称している私だが、子供の頃は読書が大嫌いだった。いつからこんなに本を読むようになったのか、少し振り返ってみたい。

 

 

私の小学校には「読書週間」なるものがあり、朝の会の10分間、みんなで黙々と本を読むイベントがあった。読む本は活字であれば何でもよく、各自が好きな本を持ち寄るのだが、私はこの時間がたまらなく嫌いだった。いつも本を持って行かず、友達が読み終えた『魔女の宅急便』を借りては、開いたままぼんやりしていた。10分がとにかく長く、「この時間に一体何の意味があるのだろう?」と疑問を抱きながらも、友達が集中して本を読む姿には、どこか知的なものを感じていた。

 

ただ、全く本を読まなかったわけではない。実は密かに「トイレの個室」で読書をしていた。実家のトイレには本棚があり、父や祖父が置いていた星新一の『ショートショートの広場』が並んでいた。お腹が弱かった私は一度トイレに入ると1時間は出られず、その間の暇つぶしにその本を手に取ったのだ。ショートショートは1話3ページほどで、オチもあり、小学生の私にもわかりやすく面白かった。何度も繰り返し読んだため、今でも印象的な話は覚えている。今にして思えば、私の文章の原点はここにあったのかもしれない。

 

 

そんな私が初めて「読書」に近いことをしたのは、小学生の頃。図書室で見つけた『スズメが手に乗った!』というノンフィクションが気になり、借りてみたのだ。127ページの分厚い本で、スズメとの出会いと1年にわたる観察記録が綴られていた。小動物が好きだった私は夢中で読み、「ああ、こういう本なら好きだ」と思った。しかし、これを「読書」とは認識しておらず、「読書=小説を読むこと」という固定観念は崩れなかった。

 

 

毎年冬になると「読書感想画コンクール」というイベントが開催され、希望者が応募できた。絵が得意だった私は応募したかったが、本を読むのは嫌。小学5年生のとき、ついに架空の本で感想画を描くという暴挙に出た。タイトルや著者名を書く欄には「不明」と記入し、描きたい絵を描いて提出したのである。入選したかどうかは定かではないが、とんでもないヤツだと今でも思う。

 

中学では美術部に入り、部員全員が「読書感想画コンクール」に応募させられた。ジュニア小説を読んで出品したところ、まさかの入賞。選んだ本が幼くて、3年生の時にこれじゃいけないだろうと思い、初めて市内の本屋に行った。本の選び方がわからずに、平置きのものから表紙が綺麗のをジャケット買いた。それが大崎善生の「アジアンタムブルー」という大人向けの恋愛小説だった。絵を描くために読んだ本だけど、それが小説を読む入り口になってくれた。難しかったけど良い本で、付箋を貼りながら何度も読み込んだ。それが初めての「小説を読む」という経験になった。

 

 

そんな「読書嫌い」な私だが、国語や作文の成績は良かった。作文コンクールでは何度か市や県の賞をもらい、市長から表彰されたこともある。小学生の頃には演劇部で脚本も書いていたし、中学では標語に選ばれたり、何かと文章で褒められることが多かったのだ。教科書以外に本を読まない割に読解力と文章力はあったのが、自分でも不思議だと思うし、どうせならもっと読書しておけばよかったと少し後悔している。そして文章を書くことに興味を持ち始めた私は、中学3年の夏には「詩」を書き始め、ネットで発表するようになった。思えば私の創作デビューは絵よりも文章が先だったのだ。

 

その後、美術専門コースのある高校に進学した。特待生受験で受かるかどうかという試験で、デッサンと作文の試験があり、私は特待生として合格。入学後、国語の先生に「作文が良かった!」と褒められたが、面談の際に「どれぐらい読書しているのか」と聞かれ、「教科書以外は全く」と答えたときの先生の驚いた顔は今でも忘れられない。「それはすごいけど、ちょっとやばい」と言われ、読書の必要性を説かれた。

 

 

そんな私が小説を本格的に読むようになったのは、高校3年のときである。きっかけは、小説家の喜多島隆との出会いだ。本屋で見つけた美しい表紙の文庫本に惹かれ、裏表紙のあらすじを読んでみた。「ノブ」「ウクレレ」「湘南」といった言葉が並び、それが当時夢中になっていたTUBEの世界観と重なり、直感的に「読んでみたい」と思ったのだ。その本を手に取った瞬間が、私にとっての転機となった。

 

喜多島隆の文章は、さらりとした風のように読みやすく、爽やかな読後感が心地よかった。これまでフィクションの小説に対して抱いていた堅苦しいイメージが一気に覆された。同じシリーズをはじめ、喜多島作品を何十冊も買い漁るほどに夢中になった。

 

高3の春、私は不登校だった。

特待生として入学したものの成績が伸びず、自分に自信がなくなり、絵を描くのも友達に会うのも怖くなってしまった。先生たちからの期待を裏切った自分を軽蔑されているのではないかと感じ、学校に行けなくなった。1か月ほど家に閉じこもっていたある日、担任から「これ以上学校に来ないと卒業できなくなる。教室にいなくてもいいから学校のどこかにいてくれ」と言われ、誰にも会わなくて済む図書室に通うことにした。

 

図書室では本を一切読まず、代わりに毎日2冊ずつ喜多島隆の小説を持ち込み、それを読み切る日々だった。

本を読んでいる間だけは、自分が別の世界にいるような気がした。その時間が唯一の心の拠り所であり、読書の素晴らしさに気づいた瞬間でもあった。こうして読書を通じて少しずつ気持ちを取り戻し、やがて教室に戻ることができた。

 

それ以降、本は私の習慣になった。読書は現実を離れるための心地よい場所になったのである。とはいえ、当時はまだ読書初心者で、新しい作家に手を伸ばすことには抵抗があった。それでも、石田衣良や東野圭吾といった作家を少しずつ開拓し、気に入った作家の作品をすべて読むというスタイルで読書を楽しんだ。

 

高校卒業後も、20代前半はメンタル的に辛い時期が続いた。しかし、その中で小説が私を救ってくれたのは間違いない。やがて作家として絵を仕事にするようになると、興味の対象はビジネス書や自己啓発本に移り、現在ではほとんど小説などのフィクションは読まない。それでも、読書そのもののハードルは以前よりも確実に下がっていると感じている。

 

ただ、幼少期の「読書嫌い」の記憶は根強い。

読書が趣味だとか、読書家だと言うのは今でもおこがましく感じる。

しかし、日本人のうち月に1冊本を読む人はわずか4割、月に7冊読む人は3%しかいないという。

今の私はギリギリ7冊。そう考えると、「本が好き」と自信を持って言っても良いのかもしれないと思う。

 

読書に遅れを取ったという自覚はある。自分の知らない世界の多さに打ちひしがれることもある。

しかし、それでもこれからも少しずつ、自分の好きな本を読んでいきたいと思っている。

本はいつでも私を救ってくれる。

 

 

 

 

関連情報

コメントは受け付けていません。

特集