漢字検定を通して学んだこと
片付けをしていたら、去年の暇な日に解いた漢字検定の過去問プリントが出てきた。10級から2級まで順に挑戦した結果、準2級は合格、2級は不合格という成績だった。最近、手書きの機会が減って漢字が怪しくなってきた自分をテストするつもりだったが、思いのほかできていて、少しほっとした。そして再び、「漢字検定の勉強でもしようか」という気分になった。
大人になると「あの時やっておいてよかった」と思うことはちらほらあるが、私にとって中学時代の漢字検定はそのひとつだ。漢字検定を通して学んだのは、ただの漢字力だけではない。苦手も努力で克服でき、さらには得意にまで変えられるという実感だ。
小学生の頃から漢字は正直、苦手だった。小学6年生の時、学年集会で書記として運動会についての意見を黒板にまとめていたときのこと。赤組の「赤」という字がどうしても出てこず、隣にいた小3男子に「違うよ!赤はこうだよ!」と教えてもらう羽目になった。「6年生なのに漢字書けないのかよ!」と言われたあの瞬間、悔しかったが、当時の私は「ど忘れだよ!」と強がっていたかもしれない。
そして中学2年のとき、運命の出会いが訪れる。塾のある先生が、「平石は成績の割に漢字が壊滅的だ」と気づいたのだ。偉人の名前は書けても、「使う」「通う」などの日常漢字はほぼすべてひらがなで書いていたのがバレた。「これはヤバい」と、「漢字検定を受けよう」との指令が下された。もちろん拒否したが、逃げ場はなかった。6級(小学生5年程度)から漢字特訓がスタートした。書き順や部首など、無視してきた基本をたたきこまれる日々が続いた。個別指導塾でひとり小学生の漢字を教わるなんて、、と最初は屈辱だったが、4級に合格した頃から、いつの間にか「漢字って面白いかも」と感じるようになっていた。それから休みの日も自習として塾に通ってはひたすら何時間も漢字の勉強をした。先生たちも私がこんなに漢字にハマるとは思ってなかったと思う。漢字辞典と四字熟語辞典が愛読書になった。そして3年生の時、3級と準2級に合格した。
高校では2級を取得し、国語の授業中にまさかの「漢字検定免除」という特権を得た。若い国語の先生が「えっ、美術コースの平石が2級持ってるの!?」と驚いていたため、「そうですよ、勉強しなくていいんです」と言ってやったのだが、翌日、彼が「平石、勝負だ!」と準1級の過去問を手に持ってきたのは笑った。点数は散々だったが、先生が「やった!平石に勝った!」と喜ぶ姿が面白くて、周りも大笑いしていた。苦手だった漢字が、いつしか得意として認められたようで、なんだか嬉しかった。
今思えば、あれだけ夢中で努力したのだから、得意になって当然である。でも、あの経験がなければ「苦手は克服できる」という自信を持てなかったかもしれない。もしずっと漢字が苦手なままだったら、今のように、著者として文章を書くことも、読書も楽しめなかっただろうと思うと少し恐ろしい。あの時、嫌がる私に漢字検定を勧めてくれた先生には、今でも感謝しかない。
今も克服できていない苦手なものはあるが、それも楽しみながら積み重ねていけばいつか得意になると信じている。デッサンやクロッキーも、実は長年のコンプレックスを解消するために最近始めたのだ。2年ほど経った今では「わたし、そんなに下手くそじゃない。まぁまぁうまい部類だ!」と人前でも堂々と描けるようになった。人並みに追いつくことは、ほんの数年の努力で十分だったのだ。これが漢字検定を通じて学んだ私の教訓である。
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