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歩き出してから道を決めればいい

最初に道を決めてから歩き出すべきだ、とよく言われる。

けれど、それはどこか現実離れした理想論のように感じる。

少なくとも、私自身はそういう「正しい道」を選び取るのが得意なタイプではない。

というより、そもそも正しい道なんてあるのだろうか。

 

私たちは、歩き出してみなければ分からないことだらけだ。

たとえば、旅行先で地図を広げて完璧なルートを計画したところで、実際にその道を歩いてみると、あっちの小道が気になったり、目の前に現れた絶景に立ち止まったりするものだ。結局、計画通りには進まない。でも、それが楽しい。

 

これは絵にも通じる話だ。描き始めるとき、すべての構図や色彩、細部を完璧に決めてから筆を持つことが理想だと思われがちだ。

確かに、最初に決めた道をそのまま貫き通すのは、技術の高さや安定感を示す「画力」とも言えるのだろう。

でも、実際には、描き始めてから進める方向を見つけるほうが、自由で面白い。

 

描いてみないと見えてこないものがある。

初めはこの色が良いと思っていたのに、描き進めるうちに別の色が欲しくなることもある。

最初に決めた構図を途中で壊して、より良さそうな完成形が見えたら、そちらに方向転換する勇気が必要になる。

それを「計画通りにできなかった」と嘆くのではなく、「新しい道を見つけた」と捉える。その柔軟さがあるからこそ、絵を描く楽しさが生まれるのだ。

 

 

結局、描くという行為もまた「歩き出す」ことと同じだ。

立ち止まって計画だけを練っていても、キャンバスの上でどんな景色が広がるのかは分からない。

だから、とりあえず描いてみる。そして、描きながら考え、進む方向を決めればいい。

 

最初に決めた道が上手くいく場合もあるし、そうでない場合もある。

でも、それがどうしたというのだろう。

全てを決めた通りに描ける技術が素晴らしいのは確かだが、その場の流れで変えていく自由さは、それ以上の楽しさをもたらしてくれる。

予定通りに完成する絵もいいが、予想外の発見を重ねて生まれる絵には、また違った魅力が宿る。

 

だから、歩き出してから道を決めればいいし、描き始めてから進む方向を見つけてもいい。

そうやって生まれる自由さと偶然の美しさを楽しむこと――それが、私にとっての「創作の醍醐味」なのだ。

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