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読書記録15「ピカソになりきった男」ギィ・リブ

1984年から2005年に逮捕されるまで、ピカソ・ダリ・シャガールなど、ものすごい量の巨匠の贋作を世に送り出してきた、天才贋作作家ギィ・リブの手記です。

 

贋作と聞くと、すでにある作品の全く同じコピーを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。よくドラマや小説になるのは、美術館の本物の作品が偽物とすり替えられて盗まれるとか、なんとか鑑定団などで「これは模写ですね」みたいな話だと思います。だから「名画や巨匠の作品には贋作はつきもの」なんだと子供の頃から思っていました。

 

けれどギィ・リブが作っていたのはそういう模写やコピーではなく、巨匠が描いたっぽい全くの新作だったのです。

 

ピカソになりきって、ピカソが描きそうなデッサンを描く。

 

シャガールになりきって、シャガールが描きそうなグワッシュを書く。

 

それはできそうで、ものすごく難しいことです。そこには天才贋作作家と呼ばれた彼のとてつもない努力が隠されていました。

 

 

ピカソなんかはよく「子供の絵のよう、自分でも描けそう」なんて言われるし、シャガールもグニャグニャな絵だし、それっぽく描くことはできそうな気がしてしまうかもしれません。

 

でもその画家になり切るということは、とてつもなく難しい。

 

技術としてはその画家を超えなければいけないと言えるでしょう。そしてその画家のタッチ、配色の癖やルールを一つも矛盾なく描かなければいけないのです。

 

全く見本の存在しない作品を、新たな作品として「その画家が描いた」というふうに、専門家たちに思い込ませなければいけないのだから、もとの作品を模写するのとは訳が違います。

 

ギィ・リブが騙したのは、真贋を見極める専門家や画家の親族たちでした。

 

彼らから本物であるという証明をもらうことで、作品はとてつもない金額で取引されることになります。まさに完璧な仕事です。

 

この手記で本人は、努力のことをそんなに大変そうに書いていませんでしたが、贋作画家になってからの努力。それまでの努力。天才と呼ばれる人はここまで当たり前のように努力して仕事と向き合っているのかと考えさせられました。

 

その人を知り尽くさなければその人にはなりきれないから、その人物の人生や考え方、それを自分の中に取り込めるようになって初めて、同じ絵が描ける。というのはわかります。

 

 

 

本書の中で最も印象的な言葉は、裁判の際に美術評論家が証言した「ピカソが生きていたら、彼を雇っただろう」という言葉でした。

 

「自身の贋作を作っている悪い奴」だとしても、ここまで自分を知り尽くして描いてくれているのなら誰も彼を嫌いにはなれないだろうと思います。

 

私がもし自分の真似をして自分と全く同じ絵が描ける人間に出会ったら、確かに雇いたいと思うでしょう。

 

一緒に仕事したい。自分をここまで知り尽くしてくれるなんて、最高の理解者ということだからです。

 

贋作を作るためのギィ・リブの努力は、作家をリスペクトしていることが感じられるのが何より好感が持てます。

 

事実、ギィ・リブは自分が贋作を作っていた画家にその事実がバレてから、一緒に仕事をしたりもしていたそうです。すごいですね。

 

一体どれだけすごい贋作作品を書いたのだろうと、見て見たかったけれど、2005年に逮捕された彼の作品はもう見ることができないようです。

 

でも今もその作品の一部は、ギャラリーやオークションに並んでいるとのことです。

 

これだけの大犯罪を犯しながら、彼は2012年映画「ルノワール陽だまりの裸婦」のスタッフ、画家の手の役として抜擢されたりし、彼の周りには彼をリスペクトするような人が絶えないのだそう。

 

全ての人や物事に真剣に向き合うことで、人を騙していても、恨みを買わずに生きてきたような。

本当の天才の生き方はすごいなと感じました。

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