読書記録8「のこす言葉 安野光雅 自分の眼で見て、考える」平凡社
画家の安野光雅さんの本。
「のこす言葉」は、平凡社の“一つのことを極めた先人たちが、生きた知恵を切実な言葉で伝える語りおろしシリーズ”ということで、安野光雅さんのこの書籍もその中の一冊です。
この「のこす言葉」というワードに惹かれて手に取りました。
出版は2019年2月となっていますが、安野光雅さんは2020年の12月24日にお亡くなりになられています。まさに「のこす言葉」として、しみじみと一文一文を噛みしめつつ読んでいきました。
安野光雅さんといえば、絵本のデビュー作である「ふしぎなえ」という本があまりにも有名で、私も幼い頃この絵本に出会い、何度も何度も絵の隅々まで飽きずに眺めていたのを覚えています。
2019年の夏、平塚美術館で安野光雅展を初めて観ました。
絵の細部に隠された面白い部分を、一緒に行ってくれた連れと一緒に観察して、見つけるのが楽しくって、かなりの時間いたと思います。でも会場にいる人みんなが夢中に見えました。夏休みだから学校の課題なのか、真剣に色々メモをとる子がいて印象的でした。
子供の時に夢中だった絵本は、大人になってから見ても面白くて、これを作るのはすごい才能と労力だなと感じました。それは単純に書き込みが多い丁寧な作風とかではなく、遊び心に溢れていているから、本当に描くことが好きなのだろうなと思ったんです。
あの日、平塚の安野光雅展に行けたのは、台風で予定していた茅ヶ崎の花火大会が中止になってしまい「さて今日何しよう」と突然に予定変更をしたおかげだったから今では運命だったようにも思えます。あの展示の時点では、安野さんはご存命だったということ。
もちろん、美術館ではご本人に会うわけはないのですが、作家の生きてるうちの展覧会と、亡くなった後との展覧会では、なんとなく違いがあります。それは見る側の受け取り方かもしれませんが、ご存命の時期に展示をみられたことは、よかったなと思わせてくれました。
この本は、安野さんが、人生のエピソードを一つ一つ満遍なく語られているように、話し言葉で、思い出を語るように進んでいきます。
一つ一つのエピソードの中に、何気ない大切な言葉が散らばっていて、読み進めるたびに今の自分に刺さる一言みたいなのに出会います。
きっとまた時間を開けて読んだら、今回とは違う部分が心に響くのだろうなと思うし、多分、どこが響くのかもも人によって違うのだと思います。1926年生まれ、絵描きのおじいさんが人生を思い返しながら話している、という本ですから、ビジネス書や自己啓発書のような、伝えたいメッセージが決まっているわけではなく、話を聞いた人が、どう感じ、どの部分を受け取ったかがみんな違う、受け手に委ねているような優しい文章の進み方が心地良くて読んでいて穏やかな気分でした。
今の自分に響く言葉はたくさんあったけど、その中で印象的なのを書き留めるとしたら、本当に冒頭の一行目の文章と、本の最後の一文です。
冒頭では
“私が絵描きになったのは、“出生の秘密”みたいなものなんです。子供の時から、もうなんでも描きたかった。テストの問題をやってしまったら、答案を裏返して描いていた。色や形を意識したのはずっと後の話ですが、正式に習ったことはない。絵の他に好きなものはなかったし、今まで嫌いになったことはない。”
とあります。そして、本の終わりは
“こないだ思ったことといえば、僕は今、不思議なことに仕事があるんだよ。(笑)。でも万一、仕事が無くなったとしたら、どうなるんだろう。何をするんだろう、と考えたの。そうしたら、やっぱり一人で絵を描いているだろうね。”
私は、自分を見つめ直す意味でも画家の人生を描いた内容の本や自伝のようなものは好きで読みます。でも、こんなにも「描くことが好きでたまらない」という内容が冒頭から書かれた本はそんなに印象にありません、心から尊敬しかありません。
私は果たして「描くことが好き」と、心から言えるかな。自分を語る時に開口一番「描くのが好きで、他に好きなものはない」なんてきっと言い切れないでしょう。今も私の頭は描くこと以外のたくさんの興味に溢れているし、1日の何時間を描くこと以外に費やしているかというと、実は全然絵なんて描いていないじゃないかと気付かされます。
画家とはこういうものか、すごいなと。そして自分はまだまだだなと思わされて…。
私もいつか、こうして「のこす言葉」を語れる人生を送りたいと思うものです。とりあえず長く生きて、たくさん作品を残せれば、少しでも近づいていけるでしょうか。私の言葉や生き方から、もしなんらかの影響を受けたと感じてくれる人がいたならば、これまで生きてきて、絵を描いてきて本当に良かったなと報われるような気がしますから。
今はまだ、たくさんの先輩たちの言葉に支えられながら歩んでいきたいと思います。
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