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読書記録20「本が読めなくなった人のための読書論」若松英輔

 

本が読めなくなった人のための文章を本で書く。
矛盾したようね気がしますね。

それでも、とても優しい文体で、焦らず話しかけてくれるような文章。
そして、1ページの中に大きく余白を取ったレイアウト。
本が読めなくなった人でも心地よく読めるリハビリになる良い本だと感じました。

私もここ最近、本を読んでいないな。と感じていました。
大好きで続きを読みたいと思っている本でさえ、積読のままなのです。
では、なぜ本が読めなくなってしまうのでしょう。

私の場合、日頃感じている焦りやストレスが、原因だと思っています。

本書の中でも書かれていますが、人は読書に目的を求めてしまいます。
読んで知識にしたい。自分の身にならなければ意味がない。

そうすると、無意味な読書をしたくなくて、本を読むハードルが上がってしまいます。

読書にはその世界に没頭できる集中力が必要ですが、目的に気を取られていると、本の世界に入り込むことができず、余計に頭には言ってこないことになります。

私の場合も、忙しい時間の中で仕事の時間を割いて読書するんだから、無駄にはしたくないとの想いが強すぎて、時間や結果ばかりを気にしてしまい、本を読めなくなっていたのだと思います。

半年ほどのメンタル疾患の期間を経て、今、読書を再開したのは、その昔、学生の頃、自分の心を救ってくれたのは、読書だったと思い出したからです。

その時は、読書には目的は持たず、ただ夢中になって読んでいた。

それが、本来「本を読む意味」なのではないかと、本書は思い出させてくれました。

読書にまつわる事柄を、本書では誰にでも経験がある食事に例えて説明されています。

読書は食事だということ。必要な時に必要な言葉を読むことが大切だし幸福だということです。どんなに評価させた素晴らしい本でも、今の自分に必要がなければ、飲み込むことはできません。

本が読めなくなった私たちに今必要なのは、断食明けのジュースのような優しい食事だということです。それは、童話や詩などの読みやすいもの。なるべく大きな文字で書かれた薄い本がいいということです。

絵本でもいいと思います。大人だから難しい本を読まなきゃ恥ずかしいというのは違います。初めての食事は軽いものから、徐々にステップアップを目指すということです。

「読書が心の食べ物だとしたら、多く食べるのが良いことなのでしょうか、あるいは速く食べることが良いことなのでしょうか」本書P140
この一言は、今後また私が読書に息詰まった時に思い出そうと思う言葉になりました。

「読書とは、自分以外の人のかいた言葉を扉にして、未知なる自分に出会うことなのです」P79
目的にとらわれず、心が必要とする読書を求めていきたいなと感じました。

・・・

本書では食事のたとえ以外にも、共感する優しい例えが多くありました。
「図書館で本を借りるのは、ちょうど花屋さんで切り花を買ってくるようなもの」P62というのは図書館好きの私としてはとても的をいた表現だと好きになりました。

「それらは、自分の家に根を張ることはないのですが、ある期間、彩のある生活を私たちに提供してくれます。そして、花は枯れても花を美しいと感じた気持ちは消えないように、本が手元からなくなっても言葉と出会った記憶は鮮明に残ります。」と続きます。

とても美しい文章です。
著者の方の、他の作品も読んでみたいと思いました。

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